「 月別アーカイブ:2018年03月 」 一覧

「記録」と「記憶」

2018/03/22   -日常エッセイ

武邑は、「記録」と「記憶」を明確に区別している。 記憶の本体は、記録の保存ではなくその生成の過程にこそあるといえる。・・・中略・・・物財としての情報記号を何らかの価値に変換する仕組みが生成され継承され ...

「エッジ」を楽しんでいた子どもの頃

2018/03/22   -日常エッセイ

「モチは餅屋」とはよく言われるが、私の周りにも「親戚一同研究者」などという同僚が少なからずいる。彼らを見ていると身体から「アカデミックなオーラ」が放たれていて、私などは本当に「一般庶民」であることを痛 ...

私は「エッジ」で育ちま した

2018/03/22   -日常エッセイ

私が生まれたのは仙台市。実家のあたりは今でこそ大都会になってしまったが、私の幼かった頃には「エッジ」だった。つまり、街と田舎の境目。小学校に通うときには街の中心に向かうが、学校から帰ってきたら街とは反 ...