日常エッセイ

「エッジ」を楽しんでいた子どもの頃

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「モチは餅屋」とはよく言われるが、私の周りにも「親戚一同研究者」などという同僚が少なからずいる。彼らを見ていると身体から「アカデミックなオーラ」が放たれていて、私などは本当に「一般庶民」であることを痛感する。そんな一般庶民の私であるが、私の研究を方向付けたのは子どもの頃から現在に至るまでの「暮らし」である。まず、そのあたりの話から始めよう。

私は昭和32年(1957年)、ごく普通の全くこれといった特徴のない家庭に生まれた。父親は、仙台駅の真ん前にあった「丸光デパート」という百貨店で事務の仕事をしていた。母親は東北大学附属病院で看護婦(今の言葉で言えば看護士)をしており、私もここで生まれた。「自分が生まれた大学で現在も仕事を続けている」と言えば格好はよいが、見方を変えれば「狭い世界の中で一生を過ごしている」とも言えるだろう。

ごくごく平凡な子どもの頃を過ごしていたが、今思い返すと結構毎日が楽しかった。私が生まれ育った実家のあたりは今でこそ都会の一部になってしまったが、当時は「エッジ」だった。つまり、街と田舎の境目である。小学校に通うときには街の中心に向かい、学校から帰ってからは街とは反対の方向、つまりタンボと牧場の広がる世界に向かう。

街の生活で楽しかったのは、ショッピングとグルメ。小学生としてはかなり生意気であるが、当時はそれがごく普通であったように思う。プラモデルやこまなど日々の遊び道具がほしくていつもウズウズしていたものだ。私の年代はプラモデルの全盛期で、スポーツカーやロボットなど「かっこ良い」ものが大流行だった。また、小学校のころは学校の帰り道、毎日のように買い食いをしていた。その多くは途中の肉屋でコロッケで買って、歩きながら食べていた。今思い返してみると、当時「買い食いは悪いこと」「買い食いはだめ」と注意された記憶はないし、罪悪感など全くなかった。むしろ学校でいやなことや面白くないことがあっても、帰り道であのコロッケを食べればなぜか家に着くころには全て忘れてしまっていた。「買い食い禁止」などと言われていたら、私などは即、不登校になっていただろう。

家に帰るとカバンを置いて反対側に向かう。ここからは田舎の生活。ベイゴマやバッタ、オタマジャクシ取りやカタツムリの競争、カエルと爆竹を牛乳瓶にいれて爆発させるなどという遊びはひととおりした。

そのような子どもの頃を振り返ってみると、今のようにコンピュータやテレビゲームはなかったけれど、とても幸せだった。そして、毎日がとてもエキサイティングだった。

このような子ども時代の日常が、現在の私の研究に大きく影響している。つまり、私が子どもの頃から日常的に経験していたこの二面性こそ、現在の「デジタルとアナログを対峙して考える」というアイディアに結びついているのである。

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