日常エッセイ

私は「エッジ」で育ちま した

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私が生まれたのは仙台市。実家のあたりは今でこそ大都会になってしまったが、私の幼かった頃には「エッジ」だった。つまり、街と田舎の境目。小学校に通うときには街の中心に向かうが、学校から帰ってきたら街とは反対の方へ向かうわけである。

学校の帰りには、よく「買い食い」をした。今の常識では「買い食いは悪いこと」だが、当時「買い食いはだめ」と言われたことは一度もなかった。改めて考えてみると、これはとても不思議なことである。

小学校の時、私が気に入っていたのはコロッケ。ひとつ5円という値段は、昭和30年代後半といえども、破格値だった。ただし、正真正銘の「ポテト・コロッケ」で、ポテト以外なにも入っていない。それでも10円で2個買い、ほかほか歩きながら食べる喜びは今でも決して忘れることができない。ちょっと大げさかもしれないが、あの喜びがあればどんな苦しい学校生活も乗り越えられる(笑)といったところである。「買い食い禁止」などと言われていたら、私などは即、不登校になっていたかもしれない。

中学校の帰りには、屋台でおでんを食べた。「買い食い」としては、上級者クラスと言えるかもしれない。おきまりのメニューは、シューマイ巻き、糸コンニャク、そしてハンペン。シューマイ巻きは、時々ギョーザ巻きに変わる。これで合計100円は、中学生としては分相応だろう。さすがにお酒は飲まなかったが、ワンカップの空コップにつがれた水は大人の味がした。

今のようにスマフォやTVゲームはなかったけれど、とても幸せだった。そして、毎日がとてもエキサイティングだった。最近、子どもたちの目に輝きが見られなくなったのが、とても気になっている。

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